1936年から長い歴史を誇る「阪神タイガース」
阪神タイガースの監督について、プロフィールをまとめています。
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阪神タイガース・歴代監督リスト
1936年から2024年まで、阪神タイガースの監督経験者は25人。
2度監督に就任したのは、合計9名。
うち「吉田義男」は、3度監督に就任した。
岸一郎監督は、5月に「33試合」(16勝17敗)で解任された。
監督になった経緯も異色。
阪神タイガースの監督としては、戦後最短記録となった。
監督名 | 年代 |
---|---|
森茂雄 | 1936春夏 |
石本秀一 | 1936秋 – 1939 |
松木謙治郎 | 1940 – 1941, 1950-1954 |
若林忠志 | 1942 – 1944, 1947-1949 |
藤村富美男 | 1946, 1955-1957 |
岸 一郎 | 1955 |
田中義雄 | 1958 – 1959 |
金田正泰 | 1960 – 1961, 1972-1974 |
藤本定義 | 1961-1965, 1966-1968 |
杉下茂 | 1966 |
後藤次男 | 1969, 1978 |
村山実 | 1970 – 1972, 1988 – 1989 |
吉田義男 | 1975 – 1977, 1985 – 1987, 1997 – 1998 |
ドン・ブレイザー | 1979- 1980 |
中西太 | 1980-1981 |
安藤統男 | 1982-1984 |
中村勝広 | 1990 – 1995 |
藤田平 | 1995 – 1996 |
野村克也 | 1999 – 2001 |
星野仙一 | 2002 – 2003 |
岡田彰布 | 2004 – 2008, 2023 -2024 |
真弓明信 | 2009 – 2011 |
和田豊 | 2012 – 2015 |
金本知憲 | 2016 – 2018 |
矢野燿大 | 2019 – 2022 |
監督歴代勝利1位は岡田彰布
2024年7月6日、岡田監督が515勝を達成。
単独1位となる。
「土台作り」の再建期を終え、戦力充実期に監督就任した影響は大きい。
岡田彰布 | 552勝 |
藤本定義 | 514勝 |
吉田義男 | 484勝 |
松木謙治郎 | 460勝 |
中村勝広 | 338勝 |
監督歴代敗戦1位は吉田義男
阪神タイガース監督の最多敗戦記録は、吉田義男監督の511敗。
監督歴8年で、Aクラス4回・Bクラス4回。
監督歴が長いほど、敗戦数も積みあがるので仕方なし。
吉田義男 | 511敗 |
藤本定義 | 424敗 |
岡田彰布 | 423敗 |
中村勝広 | 406敗 |
松木謙治郎 | 352敗 |
優勝監督は6人
阪神タイガースの優勝監督は6人。
石本 秀一 | 1937秋、1938春 |
若林 忠志 | 1944、1947 |
藤本 定義 | 1962,1964 |
吉田 義男 | 1985 |
星野 仙一 | 2003 |
岡田 彰布 | 2005,2023 |
日本一経験監督は2人
優勝監督6人のうち、日本一を達成したのは2人のみ。
最初の日本一監督は、1985年の吉田義男。
吉田 義男 | 1985 |
岡田 彰布 | 2023 |
阪神タイガース歴代監督のプロフィール
阪神タイガースの歴代監督のプロフィールをまとめています。
監督としての「通算成績」も記載しました。
森茂雄(1936春・夏)
阪神タイガース初代監督。
高校野球の名門・松山商業を、甲子園全国大会で優勝させた。
甲子園優勝監督の実績を評価しての、監督就任。
1年目の7月に更迭された。
退団後は大洋ホエールズの監督兼社長も務め、大洋ホエールズ初優勝に貢献している。
通算成績 9勝6敗
石本秀一(1936秋 – 1939)
阪神タイガース2代目の監督。
広島商業の監督として、2度も甲子園大会で優勝している。
鉄拳制裁「スパルタスタイル」で、阪神タイガースを2度優勝させた。
広島カープの初代監督でもある。
通算成績:223勝78敗
松木謙治郎(1940 – 1941, 1950-1954)
阪神タイガース3・7代目の監督。
現役時代には「初代キャプテン」を務めた、主力選手だった。
2度目の監督就任時、ほとんどの主力選手が移籍しており、采配に苦戦した。
阪神退団後には、東映フライヤーズの打撃コーチも経験。
「張本勲」の師匠としても知られている。
通算成績: 460勝352敗
若林忠志(1942 – 1944, 1947-1949)
阪神タイガース4・6代目の監督。
ハワイ育ちで「アメリカ流のベースボール」をもちこんだ
現役選手として、通算237勝をあげた好投手でもあった。
1947年の2度目の監督就任後、地元神戸出身で東京六大学のスター「別当薫」を4番に抜擢。
1950年、毎日オリオンズに移籍した。
現在、社会貢献した阪神タイガース関係者を「若林忠志賞」として表彰している。
通算成績: 334勝262敗
藤村富美男(1946, 1955-1957)
阪神タイガース5・9代目の監督。
初代「ミスタータイガース」としても知られている。
背番号「10」は、阪神タイガースの永久欠番となっている。
監督としての評価は高くなく、多くの主力選手たちから「監督更迭の申し出」を受けたことがある。
通算成績: 266勝190敗
岸 一郎(1955)
阪神タイガース8代目の監督。
野田誠三オーナーに「タイガース再建論」を送付。
その手紙に感銘したオーナーが、岸一郎を監督に抜擢した。
社会人野球(ノンプロ)の経験はあるが、プロ野球経験がない異色の経歴。
監督経験も大学のみ、しかも30年以上のブランクがあった。
就任後、選手たちから猛反発をくらい、たった33試合で退陣させられた。
退陣理由は「痔の治療」となっている。
通算成績: 16勝17敗
田中義雄(1958 – 1959)
阪神タイガース10代目の監督。
戦前のタイガースを「4番打者&捕手」として支えた。
「眼鏡をかけた捕手」として活躍した、草分け的な存在。
当時、1・3塁コーチボックスから采配することが一般的だったが、ベンチで采配する「メジャー流」を取り入れた。
伝説となった「展覧試合」で、監督として采配を振るった。
通算成績: 134勝117敗
金田正泰(1960 – 1961, 1972-1974)
阪神タイガース11・17代目の監督。
現役時代は「攻守」揃った好選手であった。
監督時代は選手の反発にあい、かなり苦戦している。
選手から暴力を受けた「負の伝説」もある。
通算成績: 267勝259敗
藤本定義(1961-1965, 1966-1968)
阪神タイガース12・14代目の監督。
2リーグ分裂後の阪神タイガースを、初優勝させた監督。
1962年は「小山・村山」、1964年は「村山・バッキー」と、投手力で優勝に導いた。
以後、1985年まで優勝から遠ざかることになる。
阪神と巨人の両チームで、監督を経験した唯一の人物
巨人でも、優勝7回の名将であった。
通算成績: 514勝424敗
杉下茂(1966)
阪神タイガース13代目の監督。
「フォークの神様」と称された名投手。
野田オーナーから「若手育成」を命じられ実行。
若手・ベテランの起用法に苦戦した。
8月に「休養」となり、1シーズンもたずに退団となった。
通算成績: 34勝50敗
後藤次男(1969, 1978)
阪神タイガース15・19代目の監督。
1978年、球団史上初の「最下位」を経験した。
タイガースの監督を2度経験するも、共に1シーズンのみで退任。
サンテレビ中継の「クマさんの虎情報」が懐かしい。
通算成績: 109勝139敗
村山実(1970 – 1972, 1988 – 1989)
阪神タイガース16・24代目の監督。
2代目「ミスタータイガース」と称された、名投手。
背番号「11」は、永久欠番となっている。
33歳で監督を引き受け、投手&監督の「プレイングマネジメント」となった。
2度目の監督となった1988年、バース・掛布に去られ「若手起用」へ舵切り。
これが「阪神暗黒時代」の始まりとなった。
通算成績: 241勝271敗
吉田義男(1975 – 1977, 1985 – 1987, 1997 – 1998)
阪神タイガース18・23・27代目の監督。
「牛若丸」と称された、名ショートであった。
背番号「23」は、永久欠番となっている。
タイガースの監督を3度経験。
1度目は「江夏の電撃トレード」で、血の入れ替えを行うも優勝なし。
2度目は強力打線で、日本一に輝いた。
3度目は「土台作り」に尽力。
即戦力重視のドラフトから、育成重視に方向転換。
「今岡・関本・濱中・井川」と、後の優勝メンバーを指名し「土台作り」に成功した。
通算成績: 484勝511敗
ドン・ブレイザー(1979- 1980)
阪神タイガース20代目の監督。
日本プロ野球界に「頭を使った野球(シンキング・ベースボール)」をもちこんだ、元メジャーリーグ選手。
ブレイザーの知識が「野村ID」野球の礎となった。
南海時代にはヘッドコーチとして、長く野村克也監督を支えた。
小津社長とのタッグで、チーム改革に着手。
スター捕手・田淵幸一の電撃トレードなど、チーム体質を大きく変えた。
ゴールデンルーキー・岡田彰布の起用法を巡って、マスコミから大パッシング。
奥さんが恐怖心から、帰国を懇願。
あえなくシーズン途中で、退団となった。
通算成績: 74勝72敗
中西太(1980-1981)
阪神タイガース21代目の監督。
「怪童」と称された、野球界を代表する強打者。
打撃コーチとしても、かなり評価が高い。
ブレイザーの電撃退団で、監督を引き継いだ。
成績低迷の責任を取り退団。
エース投手・江本投手の電撃退団も、マスコミのパッシングを浴びるキッカケとなった。
通算成績: 108勝112敗
安藤統男(1982-1984)
阪神タイガース22代目の監督。
慶応大学出身の内野手。
厚い内野層に阻まれ、ユーティリティー選手として活躍している。
引退後は、長くコーチで在籍。
監督就任時「守りの野球」を掲げ、守備・走塁力がある外国人選手を獲得した。
のちに打撃に特化した「バース選手」を獲得。
1985年日本一の礎となる。
2年連続Bクラスとなり、「新監督報道」が過熱。
自身で監督の座を、降りることになった。
通算成績: 178勝189敗
中村勝広(1990 – 1995)
阪神タイガース25代目の監督。
早稲田大学で主将をつとめた、エリート内野手。
長く二塁手として活躍した。
コロコロ監督が変わる「悪しき球団体質」を変えるべく、長期政権となった。
しかし、Aクラスは1度のみ。
6年間で5回もBクラスに沈み、チームは「暗黒時代」の真っ只中となる。
トレード・FA補強を行うも、ほとんど機能しなかった。
通算成績: 321勝406敗
藤田平(1995 – 1996)
阪神タイガース26代目の監督。
2064本安打で、名球会入りした安打製造機。
アキレス腱を切るまでは、走攻守3拍子を兼ね備えた「名ショート」であった。
二軍監督であったが、中村監督の途中休養のため「代理監督」となった。
翌年は正式に監督就任。
厳しすぎる指導方法は評価が低く、「新庄剛志・正座事件」は今も語り継がれている。
成績不振も伴って解任となった。
解任通告された席上、深夜2時まで席を立たなかったことでも有名。
通算成績: 65勝105敗
野村克也(1999 – 2001)
阪神タイガース28代目の監督。
数々の歴代記録を誇る、三冠王捕手。
日本球界を代表する、偉大な打者である。
ヤクルトスワローズを常勝チームに仕上げ、ヤクルト退団後にそのまま阪神監督に就任。
当時は「救世主」として、関西マスコミに祭り上げられた。
就任後は乏しい戦力で、Bクラス続き。
関西マスコミの「大パッシング」が始まった。
夫人の脱税問題が大きな話題となり、あえなく解任となった。
のちに楽天イーグルスの監督に70歳で就任し、日本歴代最高齢監督となっている
通算成績: 169勝238敗
星野仙一(2002 – 2003)
阪神タイガース29代目の監督。
中日ドラゴンズの投手・監督で、カリスマ的な人気を博した。
熱血漢でも有名。
中日時代は厳しい指導法で知られており、「鉄拳制裁」で数々の伝説を残している。
トレードによる「選手の入れ替え」に積極的で、落合博満・電撃トレードは野球ファンを驚かせた。
阪神監督時代も「積極的なトレード」「FA補強」を行い、見事優勝を成し遂げた。
体調不良もあり、2年で現場を去ることになった。
通算成績: 153勝121敗
岡田彰布(2004 – 2008, 2023 -2024)
阪神タイガース30代目の監督。
早稲田大学時代には「三冠王」「通算最多安打」を記録した、超エリート選手だった。
阪神タイガースでは、1985年日本一の中心打者として活躍。
リーダーシップにも長けていた。
阪神二軍監督・三塁コーチを経験して、星野監督退任後に一軍監督となった。
充実した戦力を引き継ぎ、強力リリーフ陣を形成して、優勝を果たしている。
2008年、巨人に13ゲーム差をつける独走状態であったが逆転を許し、責任を取り辞任した。
2023年、監督に復帰。
1年目に「日本一」に輝いた。
「勝ち馬に乗った感」は強いが、「勝利優先主義のスタイル」はチーム状況にマッチした人選。
2年契約満了をもって、2024年で勇退となった。
真弓明信(2009 – 2011)
阪神タイガース31代目の監督。
現役時代は「走攻守3拍子」を備えた、名プレイヤー。
1985年の日本一に大きく貢献した。
「FA補強」「外国人獲得」など、戦力としては恵まれた環境であった。
しかし、結果は3年間で2度の「Bクラス」に沈み、辞任に追い込まれた。
通算成績: 213勝207敗
和田豊(2012 – 2015)
阪神タイガース32代目の監督。
入団1年目に「日本一」を経験。
通算安打1739本、通算打率.291を残した、安打製造機であった。
長らくレギュラーを努めたが、キャリアのほとんどを「阪神暗黒時代」で送ることになった。
中堅・ベテランが多いチーム構成に、メジャー帰りの「西岡・福留選手」も獲得。
2014年、「クライマックスシリーズ」で首位ジャイアンツに4連勝し、日本シリーズ進出している。
在籍4年間で「Aクラス」を3度も記録したが、通算勝率は5割を下回った。
2023年から2軍監督で、現場復帰した。
通算成績: 273勝281敗
金本知憲(2016 – 2018)
阪神タイガース33代目の監督。
通算2539安打、476本塁打を記録した、強打者。
「連続試合フルイニング出場」世界記録をもっている。
育成重視を掲げ、若手の積極姿勢を貫いた。
特に「日本人の4番打者」育成に尽力、大山選手のドラフト指名・育成に成功している。
「育成・再建期」の厳しい環境にも関わらず、関西メディアの「大パッシング」を受けることになった。
最下位で終わったが、球団は続投の方針。
しかし読売ジャイアンツ・高橋監督が3位の成績で、成績不振の責任をとり辞任。
「高橋は3位で辞任なのに、何で最下位なのに続投なんだ」と、メディア・ファンの圧力運動が過熱。
あえなく最終戦終了後、電撃解任となった。
通算成績: 204勝216敗
矢野燿大(2019 – 2022)
阪神タイガース34代目の監督。
中日ドラゴンズの控え捕手であったが、トレードでタイガースに移籍。
野村監督就任後、レギュラー捕手として活躍した。
金本監督の電撃解任で、二軍監督からの緊急登板。
「積極的な野球」を掲げ、自主性を重んじた。
ベテラン選手が多く、「育成・若手転換期」に関わらず、通算成績は5割超えを記録した。
キャンプインの前日、突然の「シーズン終了後の辞任」発表。
発表通り、シーズン終了後に退団した。
通算成績: 274勝248敗
藤川球児(2025 – )
阪神タイガース36代目の監督。
現役時代は「剛速球投手」として、リリーフで大活躍をした。
阪神タイガースのアドバイザーとして、育成枠の外国人選手発掘に尽力した。
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