第9回ドラフト会議(昭和48年)
超高校級右腕・江川卓投手が目玉でしたが、大学進学を表明しており、プロ入り拒否を宣言しています。
1973年のプロ野球
第9回ドラフト会議が開催された1973年。
セリーグ:読売ジャイアンツが阪神タイガースとの最終戦に勝利し、逆転優勝で9連覇を果たしています。
パリーグ:初めて2シーズン制(前期・後期)が採用され、前期は南海ホークス・後期は阪急ブレーブスが制しています。
プレイオフでは、南海ホークスが勝利して、日本シリーズへ進出しています。
MVPは王貞治(6度目)・野村克也(5度目)両氏と、MVPの常連選手が獲得しました。
ドラフト会議の前、「日拓ホーム」から「日本ハム」に球団売却されています。
第9回ドラフト会議の日程
昭和48年11月20日、東京・日比谷で実施されました
第9回ドラフト会議の指名順位
指名順位:①大洋 ②南海 ③近鉄 ④日本ハム ⑤中日 ⑥阪急 ⑦広島 ⑧阪神 ⑨太平洋 ⑩巨人 ⑪ヤクルト ⑫ロッテ
ドラフト会議の傾向
読売ジャイアンツは上位3選手全員から、入団拒否を受けています。
読売ジャイアンツで1位指名選手が入団拒否した、球団の歴史上唯一のドラフトです。
ドラフト会議の変更点
社会人選手の指名方法が変更され、社会人1年目の選手を指名できないことになりました。
2年間は社会人野球に所属しないと、指名対象とはなりません。
この変更は今も引き継がれています。
セリーグ各球団の指名状況
読売ジャイアンツ
当時超人気球団の読売ジャイアンツが、7名中の4名に入団拒否されました。
しかも上位3選手全員が入団しない屈辱を味わっています。これは以後もありません。
2位指名した黒坂幸夫投手は、後にヤクルトに入団しています。
入団した選手は戦力とならず「大外れドラフト」でした。
阪神タイガース
1982年5月9日甲子園球場(筆者撮影)
7名を指名して3名しか入団していませんが、結論から言うと「大当たりドラフト」でした。
佐野仙好(1位)・掛布雅之(6位)両選手を入団させています。
長く活躍した強打者2名を獲得した、成果あるドラフトでした。
中日ドラゴンズ
6名指名して入団したのは、2名だけでした。
1位指名で藤波行雄選手を獲得しています。
他に戦力となった選手はいないので、可もなく不可もなくでしょうか。
ヤクルトスワローズ
1981年8月26日甲子園球場(筆者撮影)
釘谷肇選手が控え選手として戦力になりましたが、全体的には戦力供給度の低い「外れドラフト」でしょう。
大洋ホエールズ
1983年5月16日甲子園球場(筆者撮影)
くじ運を生かし、1位で大学の目玉選手・山下大輔内野手を獲得しています。
7名指名して4名に入団拒否されたドラフトでしたが、山下大輔選手の獲得で「当たりドラフト」と評価できるでしょう。
長らくチームの中心選手として、遊撃手を務めています。
7位の藤原仁投手は、指名拒否しています。
広島東洋カープ
1987年3月30日西宮球場(筆者撮影)
1位で木下富雄選手を獲得しています。
レギュラー級の実力を有した「ユーティリティプレイヤー」として、広島カープ黄金期を支えました。
パリーグ各球団の指名状況
南海ホークス
1982年4月8日西宮球場(筆者撮影)
藤田学・河埜敬幸両選手を獲得。
戦力供給の観点からすると「効果あるドラフト」でした。
2位指名の山倉和博捕手は入団拒否
もし山倉捕手も入団していたら、上位3名の高校生が活躍する「大当たりドラフト」だったでしょう。
スカウト冥利につきますね
阪急ブレーブス
プロ入りを完全拒否していた江川卓投手を指名
予定通り公言していた「大学進学」をしました。
現場スカウトの意見を無視して、球団幹部が決めた指名でしたが翻意できませんでした。
指名選手も戦力とはなっておらず、外れドラフトでした。
ロッテオリオンズ
入団したのが、高校生投手2名のみ。
しかも1軍登板は、通算1試合でした。
全く実りないドラフトでした。
袴田英利捕手には入団拒否されましたが、大学進学後に入団したのは皆さんご存知の通りです。
太平洋クラブライオンズ
1986年9月23日西宮球場(筆者撮影)
8名を指名しましたが、入団したのは上位3名のみでした。
入団した山村善則・楠城徹・鈴木治彦(葉留彦)各選手が、控え選手として戦力となっています。
入団した全員が戦力になり、「実り多いドラフト」と評価できるでしょう。
笠間雄二・大町定夫各選手が入団拒否しています。
日本ハムファイターズ
村井英司捕手が控えとして戦力になりました。
他には誰も戦力にならなかったドラフトでした。
語るべき点はなしでしょう。
近鉄バファローズ
1980年9月1日西宮球場(筆者撮影)
79・80年優勝時の主軸打者・ 栗橋茂選手が入団しています。
他には誰も戦力とはなっていませんが、栗橋茂選手だけでも「当たりドラフト」と評価できるでしょう。
藤沢公也投手が、またもや指名拒否しています。
総括 / 第9回ドラフト会議
全体的に指名人数が少ない上に、入団拒否も多かったドラフトでした。
結果的には、約半数が入団拒否しました。
球団のレギュラー級に育った選手もかなり少ない
戦力供給の観点では、実り小さい「かなり寂しいドラフト」で終わっています。
以上、「ドラフト会議を振り返る(1973年)」でした。
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