プロ野球の歴史上、1989年に並ぶ大豊作の「黄金ドラフト」となり、多くの野球殿堂入り選手を輩出しています。
特に大学生に好選手が多く、期待に違わぬ成績を残しました。
第4回ドラフト会議(昭和43年)
第4回ドラフト会議が開催された1968年。
セリーグでは、広島カープが優勝争いに加わるも惜しくも3位で、巨人が4連覇を果たしています。
パリーグでは,、阪急ブレーブスが南海ホークスとの優勝争いの末、2連覇を成し遂げました。
MVPは、長嶋茂雄選手・米田哲也投手でした。
昭和43年11月12日、東京・日比谷で実施されたドラフト会議を振り返ってみましょう。
この年からドラフト会議が、非公開方式からメディア公開へ変更されています。
指名順位:①東映 ②広島 ③阪神 ④南海 ⑤サンケイ ⑥東京 ⑦近鉄 ⑧巨人 ⑨大洋 ⑩中日 ⑪阪急 ⑫西鉄
ドラフトの目玉は、東京六大学の本塁打記録を樹立した、田淵幸一選手。
田淵選手は巨人以外なら社会人入りを宣言し、他球団の下交渉にも応じていません。その田淵選手を強行指名する球団は現れるのか、それとも前年度の高田選手と同じく、無風ですんなりと巨人入団となるのか。
他にも大学生に好選手が目白押しです。
各球団の指名状況
読売ジャイアンツ
結論から述べると、大外れドラフトでした。
10名指名して9名が入団しましたが、田中章(36勝)・梅田邦三(760試合)両選手以外は戦力となっておらず、前出2名も移籍した西鉄ライオンズでの成績が主です。
ドラフトの目玉・田淵幸一選手と相思相愛でしたが、3番目の阪神タイガースに先取りされ、然も田淵選手を指名できなかった場合に指名確約していた、星野仙一投手も指名回避してしまいました。
指名したのが高校生投手・島野修で通算24登板で引退しています。引退後の阪急ブレーブスでの活躍は、皆さんご存知の通りです。
島野投手の軌跡は、澤宮優氏の著書でも詳細に記載されています。ドラフト関連、お勧めの書です。
指名順位1位の東映は、田淵選手を指名した場合のトレード交渉を事前にしていましたが、巨人は拒否したとの逸話もあります。
もし巨人が受諾していたら、巨人・阪神の歴史も変わったことでしょう。
付記として、高校中退した超高校級左腕・新浦壽夫投手を広島との争奪戦を制して、ドラフト前の9月に獲得しています。新浦投手契約後にも、同じく韓国籍であった松原明夫(福士敬章)投手とも契約しています。
写真は1988年8月2日に、西宮球場で撮影しました。
阪神タイガース
巨人を逆指名し、他球団の下交渉も頑なに拒否していた、田淵幸一選手を強行指名。
最終方針であった相思相愛の富田勝選手指名を、指名直前に球団代表の一声で、田淵選手指名に切り替えました。悔し涙にくれた田淵選手は社会人(熊谷組)入りを表明。
巨人は阪神にトレードを申し込みましたが、阪神球団からの拒否に合い、その後田淵選手と巨人球団との密会がスクープされ、阪神入りに傾いています。
8名指名して3名しか入団していないドラフトでしたが、田淵選手入団だけでも大当たりドラフトと言えるでしょう。
8位指名の長崎慶一選手は、指名拒否して大学進学しています。
広島東洋カープ
地元広島出身の山本浩司(浩二)選手を1位指名、水沼四郎選手を2位指名して、中心打者と捕手をW獲得しています。
9名中5名が指名拒否していますが、こちらも大当たりドラフトでした。
赤ヘル黄金期の礎は、このドラフトからか。
写真は1983年3月31日に、西宮球場で撮影しました。
サンケイアトムズ
前年に南海ホークスの1位指名を拒否した、藤原真投手を1位指名。10名中5名が入団しましたが、ほとんど戦力となっていません。
安木祥二投手が長く現役を続けましたが、キャリアの多くは他球団のロッテ・中日での成績です。
大洋ホエールズ
1位指名の野村収投手以外は、全く戦力となっていません。野村投手はロッテ移籍後に才能開花して、7年後に大洋に復帰。復帰1年目には最多勝を獲得しています。
勝ち星の半数は他球団での数字なので、野村投手以外は総崩れとなると、評価としては「可もなく不可もなく」でしょうか。評価難しいドラフトでした。
写真は1983年5月16日に、甲子園球場で撮影しました。
中日ドラゴンズ
球団史上最高のドラフトと評価しても過言ではないでしょう
1位・星野仙一、2位・水谷則博、3位・大島康徳、9位・島谷金二選手が入団しています。
100勝投手が2名、2000本安打・1500安打が各1名の大当たりドラフトでした。
「もしも巨人が星野仙一投手を指名していたら」と言うのは、中日ファンの酒の肴として永遠消えることはなさそうです。
右から星野仙一(1位)・落合博満・島谷金二(9位)各氏。写真は1989年3月29日に、藤井寺球場で撮影しました。
写真は1983年3月25日に、西宮球場で撮影しました。
阪急ブレーブス
球団史上最高のドラフトと言うよりも、「プロ野球史上最高のドラフト」と言えないでしょうか。
山田久志・加藤秀司・福本豊各氏の名球会メンバー3名を、同時入団させています。
他にも12位で門田博光選手を指名しましたが拒否されています。もし入団させていたら、とんでもないドラフトでしたね。
何も語れない程、素晴らしい夢あるドラフトでした。
写真は1983年6月19日に、西宮球場で撮影しました。
写真は1980年6月14日に、西宮球場で撮影しました。
写真は1983年6月19日に、西宮球場で撮影しました。
南海ホークス
阪神タイガースが田淵選手に切り替えた為、すかさず富田勝選手を指名しています。4位に藤原満選手も指名しており、実りあるドラフトと言えるでしょう。
3位で野村ID野球の懐刀・松井優典捕手を指名入団させています。
写真は1980年8月24日に、西宮球場で撮影しました。
東京オリオンズ
1位指名で2000本安打を達成した、3塁手・有藤通世選手を入団させています。
他にも広瀬宰・土肥健二選手を入団させました。
土肥健二氏の入団がなければ、後の三冠王・落合博満氏は存在したのでしょうか。
因みに9位で100m日本記録保持者・飯島秀雄氏を指名しています。
野球未経験者を指名した、初めてのケースです。
写真は1983年6月19日に、西宮球場で撮影しました。
近鉄バファローズ
水谷宏投手は中継ぎ、服部敏和選手が控えとして戦力となった以外は、総崩れの外れドラフトでした。実りなしですね。
当たりの多いパリーグに於いて、近鉄だけが外れを引き続けた「失態ドラフト」と言えます。見事、大外れです。
西鉄ライオンズ
東尾修・大田卓司各選手と中心選手を2名獲得し、後の西武ライオンズ黄金期の礎を作る、大当たりドラフトでした。
大田卓司選手はシーズン400打席を2度しか経験していませんが、存在感や活躍度は当時のファンなら、よく知る筈です。
まあ、東尾修投手だけでも、大当たりドラフトと言えますが。
写真は1981年9月1日に、西宮球場で撮影しました。
東映フライヤーズ
東都大学の強打の遊撃手・大橋穣選手と、400勝投手金田正一投手の実弟・金田留広投手を入団させています。
両選手共にフライヤーズでの在籍期間は短かったですが、金田留広投手は最多勝も獲得しており、当たりドラフトと言えるでしょう。
総括
阪急は超華丸ドラフト、阪神・広島・中日・東京・西鉄が大当たりドラフト。
巨人・サンケイ・近鉄は、稀に見る黄金ドラフトながらも、見事な外れドラフトでした。
錚々たるメンバーを輩出した歴史的なドラフトは、1989年まで途絶えることになります。
と言うか、
でき過ぎでしょ!
以上、「ドラフト会議を振り返る(1968年)」でした。
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