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【第6回新人選手選択会議】ドラフト会議(1970年)

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目次

第6回ドラフト会議(昭和45年)

ドラフトの目玉は、島本講平(箕島高)・湯口敏彦(岐阜短大付属高)・佐伯和司(広陵高)の高校ビッグ3。当初の予想通り、指名順位上位3球団が指名しています。

結果的には大物選手が少ない、小粒なドラフトで終わりました。

・ 第1回ドラフト会議を振り返る

1970年のプロ野球

第6回ドラフト会議が開催された1970年。

ヤクルトの球団元年でした。

セリーグ:巨人が阪神の猛追を振り切り、2ゲーム差をつけて6連覇を達成。
パリーグ:大毎からロッテに移って2年目での優勝。南海に10.5ゲーム離しての独走でした。

張本勲選手は、打率.383・34本塁打・100打点・16通塁の成績でしたが、MVPは21勝の木樽正明投手に輝いています。

それでは昭和45年11月9日に実施された、ドラフト会議を振り返ってみましょう。

第6回ドラフト会議の指名順位

指名順位:①南海 ②巨人 ③広島 ④大洋 ⑤東映 ⑥阪神 ⑦近鉄 ⑧ロッテ ⑨中日 ⑩西鉄 ⑪阪急 ⑫ヤクルト

セリーグ各球団の指名状況

読売ジャイアンツ

1983年5月27日甲子園球場(筆者撮影)

淡口憲治・読売ジャイアンツ

ドラフトの目玉左腕・湯口敏彦投手が入団。

期待値が高い左腕投手でしたが、入団3年目に20歳の若さで死去されました。

早稲田大学進学でプロ入り拒否していた、大北敏博選手を入団に成功。

結局戦力にはなりませんでした。

3位で淡口憲治選手以外には、誰も戦力となっていません。

阪神タイガース

社会人の谷村智博選手を1位指名

長くローテーション投手を務め、2桁勝利3回ですから1位指名の価値ありでしょう。

他に戦力となった選手はいません。

大洋ホエールズ

戦力供給ができなかった外れドラフトでした。

1位指名の野口善男選手は、引退後にフロント入りして「球団取締り」まで昇格しています。

7位指名の芦岡俊明選手は入団拒否

広島東洋カープ

1980年4月26日西宮球場(筆者撮影)

金城基泰・南海ホークス

1位指名は地元・広島の逸材・佐伯和司投手。

他にも2位・永本裕章、5位・金城基泰各投手を獲得しています。

高校生のみの重点指名でしたが、当たりドラフトと言えるでしょう。

当時としては思い切ったドラフト戦略でしたが、成果大きかったですね。

中日ドラゴンズ

1983年3月25日西宮球場(筆者撮影)

三沢淳・中日ドラゴンズ

稲葉光雄、三沢淳、堂上照の3投手を入団させた、当たりドラフトと言えるでしょう。

3名のうち2投手は100勝以上を記録しています。

ヤクルトアトムズ

1983年7月4日甲子園球場(筆者撮影)

若松勉・ヤクルトスワローズ

2位で主力打者となる、若松勉選手を入団させています。

他にも山下慶徳(1位)・渡辺進(4位)・会田照夫(8位)・ 杉浦享(10位)各選手を指名しており、前年に続いて高い戦力供給を果たしています。

悲願の初優勝の礎、ここにありでしょう。

12位の倉持明投手は入団拒否。

パリーグ各球団の指名状況

ロッテオリオンズ

1位指名の樋江井忠臣投手は、入団拒否しています。

9名指名して入団が3名しかいません。入団した3名の合計出場数は、たった1試合です。

大外れドラフトでした。

5指名の奥江英幸投手にも、入団拒否されました。

2位指名の浜浦徹投手は、日米間で成立した初トレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍し、帰国後はライオンズでプレーしています。トレード入団したジョンソン選手は、ロペス選手の後釜にしては役不足で終わりました。

南海ホークス

1982年4月4日西宮球場(筆者撮影)

島本講平・近鉄バファローズ

1位指名の権利を行使して、地元の「甲子園アイドル」島本講平投手を入団させています。

他にも4位・池内豊、6位・黒田正宏、8位・柏原純一選手を指名

当たりドラフトと評価したいところですが、島本・池内選手は南海では開花せず

柏原選手も中心選手となったのは移籍後です。


私的な評価としては、かなり低いです。

近鉄バファローズ

1980年9月1日(筆者撮影)

石渡茂・近鉄バファローズ

石渡茂選手が2位で入団しています。

他に活躍して選手はおらず、全体としては可もなく不可もなくでしょうか。

阪急ブレーブス

1984年9月16日西宮球場(筆者撮影)

今井雄太郎・阪急ブレーブス

2位指名で今井雄太郎を獲得しています。

他選手は戦力とはなりませんでしたが、今井投手の最多勝2回の実績で、当たりドラフトと評価したいですね。

7位の福間納投手は入団していません。

東映フライヤーズ

1980年4月26日西宮球場(筆者撮影)

杉田久雄・南海ホークス

杉田久雄・皆川康夫両投手が100試合以上登板おり、可もなく不可もなくでしょうか。

ただ戦力としては乏しいドラフトでした。


8位指名した佐々木恭介選手は指名拒否

西鉄ライオンズ

1位・ 高橋二三男、2位・伊原春植(春樹)両選手が控えとしてプレイしています。

戦力的には小さく、伊原春植氏のコーチとしての貢献と合算して、可もなく不可もなくの評価でしょうか。

大当たり選手

若松勉(ヤクルト)

総括 / 第6回ドラフト会議

ヤクルトが大当たりドラフト。

広島・中日も当たりドラフト


全体的に戦力供給度の低い「不作ドラフト」で、レギュラー選手として長くチームに貢献した選手が少ない年でした。

名球会レベルの輩出は、若松氏のみで終わりました。

以上、「ドラフト会議を振り返る(1970年)」でした。

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この記事を書いた人

日本野球・アメリカ野球の旅行情報を中心に発信しています。

野球観戦歴は50年、日本野球1000試合以上、アメリカ野球600試合を生観戦してきました。

・日本プロ野球全本拠地
・メジャーリーグ全本拠地
・マイナーリーグ100球場

野球場巡りをした実体験を元に、旅行情報をまとめています

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