第1回ドラフト会議(昭和40年)/ じゃんけんでクジ順を決める
1965年(昭和40年)から実施されているドラフト会議。
- 契約金高沸の抑止
- 戦力均衡化
以上を目的として実現しました。
- 西鉄ライオンズ・西亦次郎社長が提案
- 阪急ブレーブス・岡野祐球団代表と他球団に根回し
神戸・六甲山ホテルで公表したのが始まりでした。
最初は「ルーキー・プール制度」として、提案されています。
これが現在の「ドラフト制度」の始まりです
1965年のプロ野球
ドラフト会議が初めて開催されたのは1965年。
- セリーグ:巨人が金字塔「V9」となる最初の優勝
- パリーグ:南海・野村克也氏が三冠王を獲得。
巨人が日本シリーズを制して、日本一に輝いています。
第1回ドラフト会議は1965年11月17日に開催
1965年11月17日、
東京日比谷の日生劇場7階・会議室で行われました。
第1回ドラフト会議を、振り返ってみましょう。
「ドラフト会議」の指名手順は複雑だった
- 1位指名選手のみ抽選
- 2位以下は、ウェーバー方式
指名方法は現在と同じですが、1位指名の重複抽選はありませんでした
1位指名の抽選方法
12球団がコミッショナー事務局に、希望選手リスト(30選手)を提出。
その中から、順次獲得できる方法でした。
- 希望リストの上位12名のみ順位をつけておく
- リスト1番目希望の選手が、重複した場合は抽選
- 外れた球団は、リスト2番目の選手を指名
- それでも重複したら、また抽選
- 負けた球団は、以後も同じ繰り返し
ウェーバー順位はじゃんけんで決定した
2位以下の指名は、ウェーバー制でした。
シーズン成績下位の球団から、優先的に指名してゆきます。
シーズン最下位球団
- パリーグが「近鉄」
- セリーグが「サンケイ」
ウェバーでの指名優先権を「じゃんけん」で決定しました
「じゃんけん」で優先権を決めるなんて、今ならお笑いですよね。
- 近鉄の永江代表が、サンケイの友田代表に、じゃんけんで勝利
- 近鉄の永江代表が、「くじ引き順位」を決めるくじで負ける
- くじで勝ったサンケイの友田代表が、偶数番号を引いて指名順が決定
じゃんけんの後に、くじ引きを2回するのも非効率です。
じゃんけんで決まった、2位以下の指名順位
- 近鉄
- サンケイ
- 東京
- 広島
- 阪急
- 大洋
- 西鉄
- 阪神
- 東映
- 中日
- 南海
- 巨人
指名人数は30名に制限
指名選手数は、1球団30名まで
このドラフトでの指名数は、広島カープの18名が最大でした。
第1回ドラフト会議の傾向
入団率が39.3%しかなかった
指名選手の半数以上が、入団に至っていません。
132名の指名に対し、入団したのが52名
入団率はたったの39.3%でした
入団の意思に関係なく、交渉権を獲得しておくことが目的だからです。
待遇が悪く、将来の保証がないプロ野球より、社会人野球や一般就職に魅力が高かった時代背景があります。
たくさん指名しておけば、必要な選手数が確保できる算段でしょう。
ドラフト指名しても入団交渉すら行わず、交渉権が失効した選手もいました。
大量指名する球団が多かった
指名数が多かった上位3球団
- 広島カープ-18名
- 西鉄ライオンズ-16名
- 東京オリオンズ-15名
10名以上指名した球団は、7球団もありました。
それに対して、南海ホークスは僅か4名で終了。
1位重複は2名いた
・森安敏明(指名球団:サンケイ・東映)
東映が交渉権獲得
・田端謙二郎(指名球団:近鉄・広島)
近鉄が交渉権獲得
ドラフト1位指名の入団拒否は1名のみ
外れ1位の河本和昭氏は、サンケイの指名を拒否。
1位指名拒否の初選手となりました。
指名リスト1番目に記載されなかった主な選手
リスト1番目記載が確実と評価されていた、木樽・新宅選手が1番目に未記載でした。
木樽投手は、近鉄が2番目にリスト記載。
1位指名で活躍した選手は堀内・長池選手
1位指名選手で戦力の核となったのは、堀内恒夫・長池徳二両選手です
超高校級左腕・鈴木啓示氏が2巡目のトップで、近鉄から指名。
1位指名を回避した地元・阪神が、批判されたドラフトでもあります。(希望リスト6番目に記載)
それでは第1回ドラフト会議を、振り返ってみましょう。
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セリーグ球団の指名状況と結果
読売ジャイアンツ
1983年5月27日甲子園球場(筆者撮影)
指名人数8名、5名が入団。
V9時代のエース投手・堀内恒夫氏を指名。
高校卒でありながら、初年度からエースとしてフル回転。
通算203勝で、球界を代表するエースとして活躍しました。
「大成功ドラフト」と言えます。
又、江藤省三選手は464試合出場、コーチとして長らく歴任しています。
堀内恒夫(1位):通算203勝、最多勝1回、沢村賞2回、MVP1回、野球殿堂入り(2008年)
江藤省三(3位):通算154安打
指名順位
- 堀内恒夫 投手 甲府商業高
- 林千代作 外野手 鎌倉学園高
- 江藤省三 内野手 慶應大学
- 広瀬邦敏 外野手 大竹高 交渉権失効
- 才所俊郎 外野手 河合楽器
- 宇佐美敏晴 投手 西条高
- 西山敏明 外野手 津山商業高 交渉権失効
- 深津修司 内野手 中京商業高 交渉権放棄
中日ドラゴンズ
指名人数11名、4名が入団。
大洋ホエールズのエースとなる「平松政次」を指名しましたが、入団していません。
平松政次氏が入団していれば、星野仙一氏と岡山Wエースを形成したはずです。
大学生の目玉選手、新宅洋志・広野功両選手を入団させていますが、期待程の活躍はできませんでした。
コーチやプロ野球ニュース解説者としての印象が強いですね。
新宅洋志(2位):通算196安打
広野功(3位):通算440安打
指名順位
- 豊永隆盛 投手 八代第一高
- 新宅洋志 捕手 駒澤大学
- 広野功 内野手 慶應義塾大学
- 平松政次 投手 岡山東商業高 交渉権失効
- 平野年明 投手 八幡製鐵 交渉権失効
- 高岡英司 投手 富士製鐵広畑
- 小弓場保 投手 日本生命 交渉権失効
- 永江健一 投手 鹿児島実業高 交渉権放棄
- 仲子隆司 投手 日本楽器 交渉権失効
- 松井猛 外野手 電電北海道 交渉権放棄
- 鳥谷元 投手 築上中部高
阪神タイガース
1981年6月11日、甲子園球場(筆者撮影)
指名人数9名、3名が入団。
無名の石床幹雄氏を選択するサプライズ指名で、会場が騒然となった逸話があります。
鈴木啓示氏を指名していれば、2位指名の藤田平氏と合わせて「名球会入り高校生2名」を同時獲得できた大成功ドラフト。
鈴木・江夏のW左腕で、巨人のV9を阻止できていたかも。
藤田平(2位指名):通算2064安打、207本塁打、首位打者1回
指名順位
- 石床幹雄 投手 土庄高
- 藤田平 内野手 市立和歌山商業
- 北角富士雄 投手 東邦高 交渉権放棄
- 久野剛司 投手 同志社大学
- 石井満 投手 日本石油 交渉権放棄
- 岡村晃 内野手 関西大学 交渉権放棄
- 松原保雄 捕手 高松商業高 交渉権放棄
- 下田典隆 内野手 広陵高 交渉権放棄
- 井石裕也 内野手 浪速 交渉権失効
大洋ホエールズ
指名人数11名、4名が入団。
芳しい成果は、得られていません。
竹之内雅史選手を指名しましたが、入団に至っていません。
のちのエース投手・平松政次氏は中日ドラゴンズから指名されましたが、社会人野球を選択しています。
もし中日入団していたらと思うと、大洋ファンとしては恐ろしいところ。
指名順位
- 岡正光 投手 保原高
- 加藤俊夫 捕手 仙台育英高 交渉権失効
- 淵上澄雄 投手 岐阜短期大学付属岐阜高
- 岸勝之 投手 横浜高
- 樋口実 投手 羽幌炭鉱 交渉権放棄
- 紺野功 投手 磐城高 交渉権放棄
- 白井秀樹 投手 帝京高 交渉権放棄
- 小山正 捕手 気仙沼高
- 竹之内雅史 内野手 日本通運 交渉権放棄
- 石崎一夫 内野手 仙台育英高
広島カープ
1984年7月31日西宮球場(筆者撮影)
指名人数18名、10名が入団。
山本浩二氏とクリーンアップを形成し、第1期赤ヘル黄金期に貢献した、水谷実雄氏が入団しています。
2巡目指名の白石静生投手は、広島・阪急で通算93勝上げています。
成果あったドラフトでしょう。
18選手の指名は、今ドラフト最多人数です。
水谷実雄(4位指名):通算1522安打、首位打者1回、打点王1回
白石静生(2位指名):通算93勝(うち広島59勝)
- 佐野真樹夫 内野手 専修大学
- 白石静生 投手 四国鉄道管理局
- 鎌田豊 外野手 法政大学
- 水谷実雄 投手 宮崎商業高
- 河端良二 投手 伏見工業高 交渉権放棄
- 山元二三男 内野手 鹿児島照国高
- 竹野吉郎 外野手 駒澤大学
- 福島久 捕手 PL学園高 交渉権放棄
- 上柏徳治 内野手 崇徳高 交渉権放棄
- 石原昌美 投手 電電琉球 交渉権放棄
- 宇都宮勝 投手 専修大学 交渉権失効
- 矢崎健治 投手 巨摩高
- 沖本光昭 外野手 呉港高 交渉権放棄
- 杵島永至 外野手 香椎高 交渉権放棄
- 池田重喜 投手 日本鉱業佐賀関 交渉権失効
- 山本真一 内野手 専修大学中退
- 川内雄富 外野手 広陵高中退
- 下村栄二 投手 名古屋商科大学中退
サンケイアトムズ
指名人数11名、2名が入団。
芳しい成果は、得られていません。
中日・阪急で活躍した、島谷金二選手を指名しましたが入団していません。
浜口政信投手の通算11試合登板が最高。
全く機能しなかったドラフトと言えます。
最下位球団が、これでは苦しいですね
指名順位
- 河本和昭 投手 広陵高 交渉権放棄
- 山本寛 投手 愛知高
- 川上宣緒 内野手 鐘紡 交渉権放棄
- 浜口政信 投手 別府鶴見丘高
- 高橋恒夫 投手 富士重工業 交渉権放棄
- 山田豊彦 投手 大鉄高 交渉権放棄
- 柿木孟 投手 田原本農業高 交渉権放棄
- 細川昌俊 投手 志度商業高 交渉権放棄
- 島谷金二 内野手 四国電力 交渉権放棄
- 柳田四郎 投手 豊川高 交渉権放棄
- 市川幸男 捕手 武相高 交渉権放棄
パリーグ球団の指名状況と結果
南海ホークス
指名人数4名、2名が入団。
今ドラフト最小人数です。
前年の1964年には、高校生の目玉投手「池永正明」「尾崎行雄」2投手の自由競争に参戦。
前年までマネーゲームに参加しており、緊縮財政を理由に指名人数を減らしたとは思えません。
指名順位
- 牧憲二郎 投手 高鍋高
- 阿天坊俊明 内野手 銚子商業高 交渉権失効
- 山本堯二 投手 長田高 交渉権失効
- 栗崎日出男 外野手 柳川商業高
東映フライヤーズ
指名人数8名、3名が入団。
1位指名で獲得した森安敏明氏は、「黒い霧事件」で球界を去りました。
森安敏明(1位指名):通算58勝(実働5年)
指名順位
- 森安敏明 投手 関西高
- 広畑良次 投手 橋本高 交渉権失効
- 浜口春好 内野手 電電近畿
- 三田晃 投手 大昭和製紙 交渉権失効
- 阪本敏三 内野手 立命館大学
- 遠山明 投手 桜宮高 交渉権放棄
- 落合勤一 投手 実践商業高
- 米沢武 内野手 明治大学 交渉権失効
西鉄ライオンズ
指名人数16名、3名が入団。
江本孟紀氏を指名しましたが、入団に至っていません。
発案者の西鉄球団ですが、浜村孝選手が415試合出場した以外は戦力になっていません。
戦力均衡化を提唱しましたが、ドラフトの恩恵なしでした。
財政圧縮の効果は大。
浜村孝(1位):通算203安打
指名順位
- 浜村孝 内野手 高知商業高
- 吉岡宣男 内野手 立命館大学 交渉権放棄
- 三浦健二 投手 日本石油 交渉権失効
- 江本孟紀 投手 高知商業高 交渉権失効
- 田中辰次 内野手 鷺宮製作所
- 安友定吉 外野手 徳島商業高 交渉権放棄
- 吉原勉 内野手 高松商業高 交渉権放棄
- 久木田正昭 捕手 鹿児島実業高 交渉権放棄
- 少弐克也 捕手 電電九州 交渉権放棄
- 坂元健 投手 都城農業高 交渉権放棄
- 衛藤雅登 投手 別府大学附属高 交渉権放棄
- 岩田宗彦 捕手 市立岐阜商業高 交渉権放棄
- 小室光男 内野手 松江商業高
- 京田憲治 内野手 鹿児島玉龍高 交渉権放棄
- 蔵原偉吾 外野手 熊本工業高 交渉権放棄
- 太田喜一郎 外野手 立命館大学 交渉権放棄
阪急ブレーブス
1981年9月27日西宮球場(筆者撮影)
指名人数13名、4名が入団。
黄金期に4番打者として貢献した、長池徳二氏を1位指名で入団させています。
谷沢健一選手は入団していませんが、長池徳二・住友平選手の入団だけでも「成果大きいドラフト」でした。
小田義人・黒田正宏両選手も入団していません。
長池徳二(1位):338本塁打、本塁打王3回、打点王3回、MVP2回
住友平(3位):通算511安打
指名順位
- 長池徳二 外野手 法政大学
- 斎藤喜 内野手 習志野高
- 住友平 内野手 明治大学
- 谷沢健一 外野手 習志野高 交渉権放棄
- 豊田憲司 投手 呉港高 交渉権放棄
- 小田義人 内野手 静岡高 交渉権放棄
- 神山修 投手 日本大学第二高 交渉権放棄
- 中田拓 投手 田辺商業高 交渉権放棄
- 水谷勇 投手 大曲農業高
- 黒田正宏 捕手 姫路南高 交渉権放棄
- 浜敏男 捕手 田辺商業高 交渉権放棄
- 安岡静夫 外野手 横浜高 交渉権放棄
- 佐々木保昌 外野手 熊谷高 交渉権放棄
東京オリオンズ
指名人数15名、6名が入団。
超高校級右腕・木樽正明氏を、2巡目で指名しています。
1971年には最多勝獲得、1974年の日本シリーズでも貢献しており「成果あるドラフト」と言えるでしょう。
木樽正明(2位):通算112勝、最多勝1回、最優秀防御率1回、MVP1回
指名順位
- 大塚弥寿男 捕手 早稲田大学
- 木樽正明 投手 銚子商業高
- 嵯峨野昇 内野手 日立製作所
- 塩谷守也 捕手 育英高 交渉権失効
- 簾内政雄 投手 日本鉱業日立 交渉権失効
- 真崎勝 投手 羽幌クラブ 交渉権失効
- 佐藤元彦 投手 サッポロビール
- 広瀬幸司 捕手 日本石油 交渉権失効
- 川藤竜之輔 投手 若狭高
- 吉川和男 内野手 糸魚川高
- 池田昭洋 捕手 小野田工業高 交渉権失効
- 大戸洋儀 外野手 鐘紡淀川 交渉権失効
- 石井一男 捕手 相洋高 交渉権失効
- 城戸徳夫 投手 博多高 交渉権失効
- 児玉好弘 投手 日本軽金属 交渉権失効
近鉄バファローズ
1984年7月31日西宮球場(筆者撮影)
指名人数9名、4名が入団。
通算317勝の鈴木啓示氏が入団。
これだけで成果大きいドラフトと言えます。
前年の自由競争なら、獲得できなかった選手。
ドラフト制度の恩恵を、一番受けた球団です。
前年に高橋一三投手の入団内諾を得ながらも、二重契約で巨人に強奪される悲劇
高橋一三投手を獲得できていれば、W左腕エースとして楽しみ多かったですね。
鈴木啓示(2位):通算317勝、340完投(無四球78試合)、4600回、3061三振、最多勝3回、最優秀防御率1回、野球殿堂(2002年)
飯田幸夫(4位):通算337安打
指名順位
- 田端謙二郎 投手 電電九州
- 鈴木啓示 投手 育英高 入団
- 長井繁夫 内野手 PL学園高 交渉権放棄
- 飯田幸夫 内野手 横浜高
- 松原良明 外野手 米子工業高
- 田中章 投手 日本通運 交渉権失効
- 渡辺立也 捕手 徳島商業高 交渉権放棄
- 得津高宏 外野手 PL学園高 交渉権放棄
- 金子準一 投手 今治南高 交渉権放棄
大当たり選手 / 鈴木啓司・堀内恒夫・藤田平
- 鈴木啓司(近鉄)
- 堀内恒夫(巨人)
- 藤田平(阪神)
名球会選手3名を、生み出したドラフトでした。
入団拒否した名選手
- 平松政次(中日)
- 竹之内雅史(大洋)
- 島谷金二(サンケイ)
- 江本孟紀(西鉄)
- 谷沢健一(阪急)
第1回ドラフト会議の総括
堀内恒夫・鈴木啓示・藤田平・木樽正明・水谷実雄・長池徳二各選手を入団させた、巨人・阪神・広島・東京・阪急・近鉄が、「勝ち組み」と評価をします。
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