2020年7月12日、「ほっともっと神戸」球場
併殺崩れで1点をあげた巨人
しかし得点が無効に!!
理由は「ボナファイド」!
ボナファイドって何なの?
そんなことを思った野球ファンは、多いのではないでしょうか
実は私もそうでした。
「ボナファイド」って宣告した
責任審判の「丹波幸一」審判って誰??
そんなところまで、調査してみました。
- 「ボナファイド」とは何なのか
- 野球規則における「ボナファイド」
- 丹波幸一審判の経歴
ボナファイドって何? / 丹波幸一審判って誰?
コロナ感染拡大で延期されていた、2020年プロ野球公式戦が6月から開催。
場所は、ほっともっと神戸(ヤクルトvs巨人)
オリックス・バファローズの準本拠地では、珍しいセリーグの試合
国内の感染状況を踏まえて、7月10日~12日までのヤクルト3連戦は、神戸の「ほっともっと神戸」で行われました。
東京ドームを利用しなかった理由は、
- 巨人は、7月7日~9日まで甲子園球場
- ヤクルトは、7月14日から甲子園球場
両球団が、長距離遠征をせずに済むからでした。
「甲子園球場」と「ほっともっと神戸」は同じ兵庫県内で、遠征の必要がない
そんな2020年7月12日の試合を、振り返ってみましょう
ボナファイドの経緯
6回裏 1死一、三塁、巨人の攻撃
打者は巨人の炭谷選手
- 炭谷選手の打球は遊ゴロ
- 二塁封殺したが、一塁はセーフ
- 併殺崩れの間に同点
一塁走者・パーラ選手の二塁へのスライディングで、二塁手の山田選手は転倒
山田選手が普通に一塁送球しても、間に合わないタイミングでした。
しかし、高津監督(ヤクルト)からリクエストが要求
リプレー検証の結果、守備妨害のため「得点」は取り消されました。
同点にならず。
丹波三塁審判から判定説明が、アナウンスされました。
この試合の責任審判です。
試合終了後、丹波責任審判が報道陣に対し、以下のように説明しています。
「ボナファイドのガイドラインに沿ってです。
ベースに向けてスライディングはしてるんですけど、勢いついて(ベースを)越えちゃっているんで。
越えるのもボナファイドの対象なんです。
野手に接触するのも、怪我をさせないためのルールです。
近くから勢いつけて、ベース越えちゃってるんで、ボナファイドを適用しました」
聞きなれない言葉に、観客も報道陣も「???」
皆、ネット検索したのではないでしょうか?
ボナファイドって何?
聞きなれない言葉「ボナファイド」
英語の筆記は「bona fide」です。
詳しく知りたい方は、一度辞書を引きましょう。
学生時代の辞書が、残っているはずですよね?
元はラテン語ですが、
意味は、「誠実な、真実の、善意のある」です
野球規則 / ボナファイド・スライディング(スライド)
「ボナファイド・スライディング(スライド)」は公認野球規則の6.01(j)に記載されています。
(1)ベースに到達する前からスライディングを始め(先に地面に触れる)、
(2)手や足でベースに到達しようとし、
(3)スライディング終了後は(本塁を除き)ベース上にとどまろうとし、
(4)野手に接触しようとして送路を変更することなく、ベースに達するように滑りこむ
プレイ状況をビデオ判定し、
故意ではなくても、正しいスライディングではなかった
という判断をしたわけです。
試合の結果
この後、両チームともに得点ができず
3vs2でヤクルトが勝利しています。
守備妨害でなければ「同点」に追いつき、以後も攻撃できていたので、ヤクルトにとっては判定に救われた格好です。
破れた巨人は首位滑落!!
丹波幸一審判の経歴
この「ボナファイド」判定を行った「丹波幸一」審判の経歴を、調べてみました。
英語堪能で、本場アメリカで研修した後、日本でデビューした先駆者的な存在です。
1990年代前半までの審判は、1軍で実績を残せなかった元プロ野球選手が主で、戦力外通告選手の貴重な「再就職先」でした。
今では元プロ野球選手が少なくなりました。
野球実践の経験値よりも、審判技術が重視されるからでしょう。
それでは丹波幸一審判の経歴を、高校時代から紹介してゆきましょう。
高校時代
兵庫県の「神港学園高校」で、甲子園を目指す。
高校時代には、後に横浜大洋ホエールズに入団した有働克也投手(ドラフト3位)と、バッテリーを組でいます。
「大洋ホエールズ」や初期の「横浜ベイスターズ」時代を知るファンなら、ローテーション投手として記憶しているはずです。
有働克也投手の現役時代、丹波審判はパリーグ審判員だったので、公式戦で一緒にグラウンドに立つことはありませんでした。
2軍でもウエスタン・イースタンと別れていた。
キャンプ・オープン戦だけですね
大学時代
京都産業大学時代、日本のスポーツバー・草分け的存在「Attic」(アティック)でアルバイトをしながら、語学力を磨いています。
「Attic」は国内では超有名なスポーツバーで、経営者はマーティ・キーナート氏(アメリカ人実業家)でした。
キーナート氏は、
- 「東北楽天・ゴールデンイーグルス」の初代GM
- スポーツジャーナリスト
- サンテレビのパリーグ中継解説者
- 英語副音声実況
コアなプロ野球ファンなら、様々な顔を記憶していますよね
実は、酒造メーカーの「サントリー」が、アメリカのマイナーリーグ「Birmingham Barons」を買収した際の主導者でもあります。
因みに「BBM野球カード」の発案も、マーティ・キーナート氏です。
知人の池田社長(ベースボールマガジン社)に提案、40周年記念事業として採用されました。
この経緯は、後日まとめてみたいと思っています。
この「Attic」バーは、経営者がアメリカ人な上、マネージャーなどスタッフに英語堪能者が多く、プロ野球外国人選手の溜まり場でもあったんです。
- 関西球団の外国人選手たちが「Attic」周辺で暮らしていた
- 他球団の選手たちも、遠征時に集まっていた
日本プロ野球の情報収集の場だったんです。
- 70年代ならブレーザー(南海)
- 80年代ならバース(阪神)・ブーマー(阪急)
彼らは常連客でした。
毎日のように通っていたようです。
そんな恵まれた環境で、丹波審判は英語を上達させていたんですね。
現役外国人選手たちと関わることで、野球への思慮も深めていたはずです。
しかも選手は、当時の一流どころばかりです
1991年2月、オリックス球団に請われて、キャンプの通訳を務めた経験もあります。
神戸移転を計画していた「オリックス」の球団職員の人たちも、「Attic」に出入りしていましたからね。
その後、キーナート氏が日本国内での窓口となっていた「ジムエバンス審判学校」に入学。
単身渡米して審判研修を行い、審判の一歩を踏み出しています。
英語上達・審判へのキッカケ、
これらは大学時代のバイト経験が、大きかったようです。
丹波審判の実績もあり、後に「ジムエバンス審判学校」を経由して、日本プロ野球でデビューする審判が続きました。
前述したように、90年代までは元プロ野球選手の再就職先でしたが、このあたりからプロ経験がない審判が増加してゆきます。
プロ野球
1993年、パリーグの審判員となりました。
1994年には、早くも1軍デビューしています。
2014年にはチーフに昇格
英語堪能な審判として、多くの外国人選手に警戒されています。
このまま行けば、通算2000試合を超えること、間違いなさそうですね
「ボナファイド」の調査から、かなり脱線してしまいましたが、この丹波幸一審判員はプロ野球界のパイオニア的な存在です。
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