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【第7回新人選手選択会議】ドラフト会議(1971年)

nakamura-katsuhiro
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唯一の目玉選手であった、慶應大学の松下勝実選手はプロ入り拒否を宣言

意志の固さに、全球団が指名を回避しています。

注目選手が少ないドラフトで、スカウトの腕の見せ所です

目次

第7回ドラフト会議(昭和46年)

1971年のプロ野球

第7回ドラフト会議が開催された1971年。 

  • セリーグ:巨人が球宴前までに10ゲーム以上の独走態勢に入り、そのまま7連覇を達成
  • パリーグ:ロッテの追い上げを振り切った阪急が、2年ぶりの優勝を果たしました。

この年のセリーグは、3割打者が長嶋茂雄選手の一人だけしか存在していません。

それでは昭和46年11月19日に実施された、ドラフト会議を振り返ってみましょう。

第7回ドラフト会議の指名順位

指名順位:①ロッテ ②阪神 ③巨人 ④広島 ⑤西鉄 ⑥南海 ⑦ヤクルト ⑧大洋 ⑨東映 ⑩中日 ⑪阪急 ⑫近鉄

指名傾向

結果として、1位指名は大学・社会人投手に指名が集中しました。

阪急ブレーブスが「オーストラリア国籍」のライト選手を指名している

・ 第1回ドラフト会議を振り返る

セリーグ各球団の指名状況

読売ジャイアンツ

1982年5月9日甲子園球場(筆者撮影)

小林繁・阪神タイガース

川上監督が初めてドラフト会議に出席しています。

6位で小林繁投手が入団。

他にも庄司智久・玉井信博選手も入団していますが、他球団での成績が主になります。

小林繁投手の入団もあり、成果としては「まずまず」でしょうか。

中日ドラゴンズ


3位指名・白滝政孝選手の通算108試合が最高で、ほとんど戦力とならなかったドラフトでした。

過去2年間の成功があり、ドラフト失敗の影響は小さかった事でしょう。

大洋ホエールズ

1位・竹内広明、2位・奥江英幸各投手以外は、戦力になっていません。

2投手がローテーション投手となった事を考慮すると、可もなく不可もなくでしょうか。

広島東洋カープ

1980年6月14日西宮球場(筆者撮影)

永射保・西武ライオンズ

道原博幸、劔持節雄、永射保、岡義朗各4選手を、上位5枠で指名。

4選手ともが控え選手で起用されていますが、劔持節雄・永射保両選手は移籍後の実績です。

評価としては、可もなく不可もなくでしょうか。

阪神タイガース

1986年9月11日甲子園球場(筆者撮影)

中村勝広・阪神タイガース

1位・山本和行投手、2位・中村勝広選手が主力選手として活躍しています。

3位の望月充選手も4年間で351試合出場しており、かなり成果高いドラフトと言えるでしょう。

ヤクルトアトムズ

1981年9月25日甲子園球場(筆者撮影)

水谷新太郎・ヤクルトスワローズ

6位で安田猛投手、9位で水谷新太郎選手を入団させています。

12名指名して9名が入団しましたが、入団した全員が1軍を経験しました。

優勝時の主力選手を獲得した、当たりドラフトと言えるでしょう。

3位指名した尾崎健夫投手は、兄・ジャンボ尾崎氏の薦めでプロゴルファーを選択。

11位の藤沢公也投手は入団拒否しています。

パリーグ各球団の指名状況

阪急ブレーブス

1位指名の渡辺弘基投手は、移籍後の広島で活躍

ほとんど戦力とならなかった外れドラフトでした。

3位でオーストラリア国籍のライド投手を指名しましたが、1軍経験なく引退しています。

ロッテオリオンズ

1984年3月6日甲子園球場(筆者撮影)

弘田澄男・ロッテオリオンズ

15名の大量指名で14選手が入団しています。

3位の弘田澄男選手が主力として活躍、倉持明・成重春生両投手が中継ぎで戦力となりました。

実りあるドラフトと言えますが、14名の入団数を考慮すると評価は分かれるかも知れません。

近鉄バファローズ

1981年4月6日日生球場(筆者撮影)

佐々木恭介・近鉄バファローズ

レギュラー野手4名を複数輩出した、大当たりドラフトでした。

79・80年の連続優勝の礎となっています。

1位・佐々木恭介、2位・梨田昌崇、3位・橘健治、4位・羽田耕一、6位・平野光泰と、入団した5名全員が戦力となりました。スカウトの手腕ここにあり!

7位の池谷公二郎投手は入団拒否しています。

南海ホークス

1982年4月8日西宮球場(筆者撮影)

定岡智秋・南海ホークス

3位・定岡智秋、4位・片平伸作、6位・山本雅夫各選手が戦力となっています。

実りあるドラフトと言えるでしょう。

成熟期が「ホークス暗黒時代」と重なったのは不運でした。

東映フライヤーズ

1982年5月23日甲子園球場(筆者撮影)

宇田東植・日本ハムファイターズ

宇田東植・千藤三樹夫選手が戦力となりましたが、全体的には可もなく不可もなくでしょうか。

西鉄ライオンズ

1981年5月5日甲子園球場(筆者撮影)

若菜嘉晴・阪神タイガース

4位で若菜嘉晴捕手が入団

上位3選手に指名拒否され、他の入団選手も戦力となりませんでした。

3位指名の永尾泰憲選手は、入団拒否しています。

総括 / 第7回ドラフト会議

近鉄が大当たりドラフト

連続優勝のレギュラー野手4名が一挙に入団、近鉄の成果が突出しています

巨人・阪神・ヤクルトも当たりドラフトと言えるでしょう。

中日・阪急は外れドラフトでした。

全体的にはタイトルホルダーが少なく、野球殿堂や名球会メンバー不在のスケール小さい年となりました。

以上、「ドラフト会議を振り返る(1971年)」でした。

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この記事を書いた人

日本野球・アメリカ野球の旅行情報を中心に発信しています。

野球観戦歴は50年、日本野球1000試合以上、アメリカ野球600試合を生観戦してきました。

・日本プロ野球全本拠地
・メジャーリーグ全本拠地
・マイナーリーグ100球場

野球場巡りをした実体験を元に、旅行情報をまとめています

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 懐かしいです。最高の記事ですね〜。近鉄のラインアップ見て、驚愕でした!

  • 近鉄の西本政権時代を知るファンにとっては、圧巻のドラフトですよね。

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