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【第8回新人選手選択会議】ドラフト会議(1972年)

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目次

第8回ドラフト会議(昭和47年)

1972年のプロ野球

第8回ドラフト会議が開催された1972年。(昭和47年)

  • セリーグで:巨人が2位・阪神に3.5ゲーム差をつけて8連覇を達成
  • パリーグで:阪急が14ゲームの独走で連覇を果たしました

この年のパリーグMVP・福本豊氏は、106盗塁のシーズン最多記録を残し、今も破られていません。

この年から、西鉄→太平洋と親会社が変更となっています。

第8回ドラフト会議の開催日

第8回ドラフト会議は、昭和47年11月21日に実施されました。

第8回ドラフト会議の指名順位

指名順位:①大洋 ②中日 ③日拓 ④近鉄 ⑤阪神 ⑥太平洋 ⑦阪急 ⑧広島 ⑨ヤクルト⑩南海 ⑪巨人 ⑫ロッテ

ドラフト会議の傾向

第8回ドラフト会議の目玉選手は、大学球界屈指の好投手・山口高志投手(関西大学)

山口投手は社会人野球入り(松下電器)が決定しており、指名拒否を宣言していました。

指名順位決定後の展開は、波乱なく予想通りで終わりました。

1位指名は無風に終わっています。

プロ入りを拒否していた山口高志投手を、ヤクルトが指名しましたが入団していません。

このドラフトでは、初めて指名選手が100名を割りました。

・ 第1回ドラフト会議を振り返る

セリーグ各球団の指名状況

読売ジャイアンツ

中井康之・山本和雄・原田俊治・福島知春各選手が戦力になりましたが、厚い選手層に阻まれ「控えレベル」で終わっています。

メジャーリーグ昇格を目指し3Aまで昇格した、小川邦和投手は7位指名で入団しています。

昭和の大リーグファンなら、誰でも知っている存在ですよね。

阪神タイガース

1位で五月女豊投手を指名しましたが、移籍先の太平洋・大洋で開花しています。

阪神では戦力になりませんでした。

他選手も戦力とならず、外れドラフトでした。

中日ドラゴンズ

1983年3月25日西宮球場(筆者撮影)

鈴木孝政・中日ドラゴンズ

1位で剛球右腕・鈴木孝政投手を入団させています。

他にも3位・谷木恭平、4位・田野倉利男選手と、貴重な控え選手も確保できています。

当たりドラフトと評価できるでしょう。

ヤクルトアトムズ

1981年9月25日甲子園球場(筆者撮影)

鈴木康二朗・ヤクルトスワローズ

永尾泰憲(1位)・小田義人(2位)・鈴木康二郎(5位)各選手を獲得

ドラフトの成果を上げています。

4位で指名した山口高志投手は、大方の予想通りに松下電器(現パナソニック)へ入社

結果は想定内だったことでしょう。

大洋ホエールズ

1984年3月13日西宮球場(筆者撮影)

長崎慶二・大洋ホエールズ

指名順位1番目の利を活かし、1位指名で長崎慶一選手を入団させています。

3位で田代富雄選手も獲得しており、クリーンアップ打者2名をW獲得した「大当たりドラフト」でした

4位の益山性旭投手は指名拒否しています。

広島東洋カープ

1位で池谷公二郎投手を指名して、1年後に入団しています。

他にも小俣進投手も入団しましたが、開花したのが移籍先での巨人・ロッテなので、評価対象にはなりません。

他には誰も戦力とはなりませんでしたが、池谷公二郎投手だけでも「当たりドラフト」ではないでしょうか。

パリーグ各球団の指名状況

阪急ブレーブス

誰も戦力とならない、大外れドラフトでした。
チーム戦力の上昇と共に、ドラフトでの戦力供給も途絶えていた時期でもあります。

近鉄バファローズ

1984年8月26日西宮球場(筆者撮影)

仲根正広・近鉄バファローズ

超高校級・仲根正広選手を指名。控えレベルでキャリアを終えました。

有田修三(2位)・井本隆(3位)を獲得しており、当たりドラフトと評価できるでしょう。

前年度に続いて、連続優勝メンバーを整えた見事なドラフトでした。

南海ホークス

1987年3月20日西宮球場(筆者撮影)

池之上格・南海ホークス

8人指名して4名に拒否されたドラフトでした。

池之上格選手が控え選手となった以外は、戦力となっていません。

4位で指名した簑田浩二選手は、入団拒否しています。

東映フライヤーズ

1位・新美敏、2位・三浦政基各投手を指名しています。

評価としては、まずまずでしょうか。

ロッテオリオンズ

2位で三井雅晴投手を獲得しています。

他選手は戦力とはなっていませんが、三井投手の新人王獲得で評価はまずまずでしょうか

太平洋クラブライオンズ

1981年6月11日甲子園球場(筆者撮影)

真弓明信・阪神タイガース

3位で真弓明信選手を獲得しています。

8名を入団させましたが、戦力となったのは真弓選手のみです。

活躍した時期のほとんどは、移籍した阪神のものです。

真弓選手と交換トレードで、田淵選手獲得できたので「当たりドラフト」と評価します

総括 / 第8回ドラフト会議

大洋が大当たりドラフト。

中日・ヤクルト・広島・近鉄も当たりドラフトでしょうか。

前年同様に、野球殿堂や名球会メンバー不在のドラフトでしたが、戦力的にはまずまずでしょうか。

以上、「ドラフト会議を振り返る(1972年)」でした。

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この記事を書いた人

日本野球・アメリカ野球の旅行情報を中心に発信しています。

野球観戦歴は50年、日本野球1000試合以上、アメリカ野球600試合を生観戦してきました。

・日本プロ野球全本拠地
・メジャーリーグ全本拠地
・マイナーリーグ100球場

野球場巡りをした実体験を元に、旅行情報をまとめています

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