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【第10回新人選手選択会議】ドラフト会議(1974年)/ ドラフト史上最大のサプライズ指名

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目次

第10回ドラフト会議(昭和49年)

ドラフトの目玉は、松下電器の剛腕・山口高志投手と、高校ビック4(定岡正二・土屋正勝・永川英植・工藤一彦)。

指名1番くじを引き当てたのは、近鉄バファローズ。

山口高志投手は、地元大阪の近鉄バファローズが確実と思われました。

1974年のプロ野球

第10回ドラフト会議が開催された1974年。

  • セリーグ:中日ドラゴンズが巨人のV10を阻止して、20年ぶりの優勝
  • パリーグ:前期は阪急ブレーブス・後期はロッテオリオンズが制しています。

プレイオフでは、ロッテオリオンズが3連勝して「日本シリーズ」へ進出しています。

MVPは王貞治(7度目)・金田留広両氏が獲得しました。

王貞治選手は2年連続の三冠王を実現させています。

この年から救援投手に「セーブ」記録がつき、「セーブ王」タイトルが新設されています。 

第10回ドラフト会議の日程

昭和49年11月19日、東京・日生会館で実施されました。

第10回ドラフト会議の指名順位

指名順位:①近鉄 ②阪急 ③中日 ④巨人 ⑤大洋 ⑥ロッテ ⑦阪神 ⑧ヤクルト ⑨南海 ⑩日本ハム ⑪太平洋 ⑫広島 

ドラフト会議の変更点

  • 指名選手は1球団6名以内とする
  • 契約金・参加報酬の上限撤廃

1球団6名以内に制度変更されましたが、中日・広島両球団は5名の指名で切り上げています。

前年より少ない、指名選手は70人となりました。

・ 第1回ドラフト会議を振り返る

パリーグ各球団の指名状況

ロッテオリオンズ

芦岡俊明・ロッテオリオンズ

芦岡俊明選手が、控え外野手として戦力になりました

戦力供給の観点からは、かなり寂しいドラフトでした

市立銚子高校の石毛宏典選手に入団拒否されています。

大学進学後、社会人を経て西武ライオンズの中心選手として活躍

阪急ブレーブス

1982年4月23日西宮球場(筆者撮影)

山口高志・阪急ブレーブス

ドラフトの超目玉・山口高志投手を獲得しています。

他に戦力となった選手はいませんが、山口高志投手だけでも「大当たりドラフト」と評価できるでしょう。

選手としては短命で終わりましたが、阪急黄金期に貢献しています。

球団初の日本一と3年連続日本一を実現した、最後のワンピースでした。

南海ホークス

1980年4月26日西宮球場(筆者撮影)

新井宏昌・南海ホークス

2位で新井鐘律外野手を入団させています。

ホークスで10年レギュラーを務め、2000本安打を達成し「当たりドラフト」と言えるでしょう。

控え野手の岡本圭右選手も入団しています。

太平洋クラブライオンズ​

1位で指名した田村忠義投手に入団拒否されています。

後に広陵高校監督として活躍されたのは、高校野球ファンの間ではお馴染みですよね。

 3位の吉本博選手が控え捕手となった以外は、ほぼ戦力となっておらず「外れドラフト」と言えるでしょう。

近鉄バファローズ​

1984年7月31日西宮球場(筆者撮影)

村田辰美・近鉄バファローズ

指名1番くじで1位指名したのは、福井保夫投手(松下電器)というサプライズ指名でした。

「松下電器、投手・・」に続くは、誰もが「山口高志」と思いました

しかしまさかの指名で、今もドラフト史で語り継がれる伝説となっています。

福井保夫投手と合わせて、計4選手(村田辰美・吹石徳一・谷宏明)が入団しました

結果的には戦力供給度が高く、「当たりドラフト」と評価しても良いかと思います。

山口高志投手を指名していれば、1979年の球団初優勝は早まったことでしょう。

日本ハムファイターズ​

1位・菅野光夫、2位・川原昭二両選手が戦力となっています。

全体的にはまずまずでしょうか。

セリーグ各球団の指名状況

中日ドラゴンズ

1983年5月3日甲子園球場(筆者撮影)

土屋正美・中日ドラゴンズ

ドラフトの目玉・土屋正勝投手を獲得しています。

中継ぎでの登板が多く、通算240試合に投げています。

土屋正勝投手以外は戦力となっていません。

読売ジャイアンツ

1981年7月1日甲子園球場(筆者撮影)

定岡正二・読売ジャイアンツ

長嶋茂雄新監督での最初のドラフトでしたが、日米野球参加のため来場できませんでした。

甲子園のアイドル・定岡正二投手が入団しています。

先発投手として、5年間ローテーションに入り戦力となっています。

定岡正二投手以外には、戦力となった選手はいません。

ヤクルトスワローズ

1981年9月25日甲子園球場(筆者撮影)

角富士夫・ヤクルトスワローズ

注目の永川英植投手を1位指名していますが、プロでは1試合のみの登板で終わっています。

2位・角富士夫、5位・青木実両選手を獲得

まずまずのドラフトではなかったでしょうか。

阪神タイガース

1980年10月16日甲子園球場(筆者撮影)

工藤一彦・阪神タイガース

1位で古賀正明投手を指名しましたが、入団拒否されています。

2位で指名した工藤一彦投手はローテーション投手

3位・笹本信二捕手と4位・榊原良行選手も控えとして戦力になりました。

可もなく不可もなしでしょうか。

大洋ホエールズ

1位・根本隆投手、2位・宮本四郎投手、3位・大川浩投手

上位3名が、中継ぎ投手として戦力となっています。

戦力供給の観点からは「実りあるドラフト」と言えますかね。

広島東洋カープ

1982年5月23日甲子園球場(筆者撮影)

高橋慶彦・広島カープ

3位で高橋慶彦選手を入団させています。

高橋選手入団だけでも、かなりの成果ありでした。

広島カープ黄金期を支えた中心選手としての働きは、広島ファンなら忘れることはないでしょう。

総括 / 第10回ドラフト会議

スターとなる選手が少ないドラフトでした。

打者は長距離砲が出現せず、投手もタイトル争いに加わる投手もでていません。

山口高志投手が短命で終わったのは、残念な結果でした。

以上、「ドラフト会議を振り返る(1974年)」でした。

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この記事を書いた人

日本野球・アメリカ野球の旅行情報を中心に発信しています。

野球観戦歴は50年、日本野球1000試合以上、アメリカ野球600試合を生観戦してきました。

・日本プロ野球全本拠地
・メジャーリーグ全本拠地
・マイナーリーグ100球場

野球場巡りをした実体験を元に、旅行情報をまとめています

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