平成野球界のスーパースター・イチロー選手が背負った、背番号「51」。
イチロー選手以外にも、数々のスター選手を生んだ背番号です。
イチローだけじゃない / 背番号「51」はカープの伝統
昭和時代、ドラフト下位指名選手の定番であった「背番号・51番」。
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二軍選手の「背番号」でした
「背番号51番」は平成に入り、二軍選手の背番号から、出世番号へと変貌を遂げました。
期待値の高い「高卒選手」に、「51番」を与えることが多くなった。
実はイチロー選手のデビュー以前から、
広島カープでは背番号「51」が「出世番号」になっていました。
そして今も継続しています。
広島東洋カープの「51番」/ 平成初期
下位指名の選手が背負うと、出世してゆく「51番」。
- 江藤智選手
- 前田智徳選手
平成前期には、背番号「51」を背負った2名が、主軸として活躍しました。
江藤智
1989年に広島カープ入団
入団初年度は「背番号51 」でした。
しかし二軍での活躍で、球団の期待値が高まり、翌年1990年には「背番号33」に変更されました。
実は「背番号51」では、一軍に出場していません!
江藤選手の通算成績
1834試合、1559安打、364本塁打、1020打点
1989年4月・西宮球場(筆者撮影)
江藤選手の捕手時代
前田智徳
江藤選手の「背番号51」を引き継いだのは、前田智徳選手でした。
1990年に広島カープ入団
高卒新人でしたが、早くも1年目から56試合出場しています。
2年目の1991年には、レギュラー獲得!
129試合出場、107安打を記録しています。
しかし3年目の1992年には、「背番号31」に変更しました。
前田選手の通算成績
2188試合、2119安打、295本塁打、1112打点
1990年6月10日・甲子園球場(筆者撮影)
前田智徳選手が、背番号「31」に変更して、暫く広島カープ・出世番号の歴史が途絶えてました。
カープファンから、忘れられた出世番号となりました。
1992年、オリックスに入団したイチロー選手。
イチロー選手の活躍で、背番号「51」を期待値の高い新人選手に与えるパターンが、全球団に広がりました。
再び出世番号として復活 / 平成後期
平成後期に「背番号51」が、広島カープの出世番号として復活しました。
鈴木誠也
2013年に入団した鈴木誠也選手。
背番号「51番」を背負い、球団の看板選手へと成長しています。
広島カープの出世番号として、復活を果たしました!
(2020年からは背番号「1」に変更)
6年間を「背番号51」でプレイ
3年間はレギュラーで活躍しました!
2018年2月24日撮影(筆者撮影)


小園海斗
2019年、ドラフト1位で入団した、小園選手が「背番号51」を受け継ぎました。
令和の時代も、引き続き「出世番号」として、活躍の予感を感じさせています。
2019年6月19日撮影


鈴木誠也選手からは、「ドラフト上位の高校生」が背負っています。
上位指名の選手に「背番号51」を背負わせるのも、江藤・前田氏の実績があってでしょう。
出世番号に過ぎない「51」
イチロー氏ら歴代スター選手が活躍しても、「背番号51」は「スターの称号」になりません
- 鈴木誠也(広島)
- 上林(ソフトバンク)
- 京田(中日)
若手レギュラー選手が、一桁番号へ変更しました
令和になっても、「球団の顔」は一桁番号!!
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この流れは変わりそうにありません
主力選手が一桁番号を付けるのは、昭和から続く伝統として、これからも引き継がれてゆきそうです。
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野球界の伝統って、なかなか変わらんものですねえ~


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